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井上ひさしの「円生と志ん生」

先日、久しぶりに井上ひさしのこまつ座の公演を新宿で見ました。さほど期待して見に行ったわけでもなかったのですが、ストーリーの緻密さ、そして二人の落語家を演じた角野卓造と辻萬長の演技のうまさに思わず引き込まれてしまいました。芸風も性格も正反対の二人が満州で地獄の中に閉じこめられたストーリーです。

 昭和45年の夏に関東軍の慰問で落語をやりに中国へ渡った円生と志ん生。二ヶ月だけは絶好調で楽しかったのに、8月に敗戦。8月15日の無条件降伏、そして太平洋戦争の末期には精鋭といわれた関東軍は南方に動員され、そして開拓団の男達は軍に根こそぎ動員された状態でした。そこに残されたのは女性、老人、子供ばかりそんな大連を舞台に二人は助けられたり助けたり。

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 そしてそこに登場するのが異なる境遇の5組の女性達でそれぞれ違った境遇の5組の女性達を四人の女性がとても上手に演じ分けていました。やさしい、たくましい。心豊かな女性達。二人の落語家も死と隣り合わせで、もしこれが深刻なドラマだったら、とても最後まで見る勇気が沸いてこないほどのものです。でも、この演劇はミュージカル仕立てでテンポもよく、ピアニストの弾くピアノもなんとなくレトロなジャズの味があり、とても楽しめるものでした。

 井上ひさしのすばらしいところは実に丹念にこの二人の落語家の生まれてから死ぬまでの年表を作っていることです。ここまで落語家の人生を丹念に年表を作ってからストーリーを練り上げる劇作家もいないでしょう。また、もう一つ大連市の昭和20年夏から22年春までの600日間の関連年表もしっかり作っていることです。

 そうした正確で、ある種残酷な歴史の土台の上に落語家という飄々としたまた、芸道一筋の常識からはみ出したたくましい生きるエネルギーに満ちあふれた二人の生き様がとてもおもしろく、また豊かに心に響いてきます。そして、5組の女性達の中には歴史の中からまさに抹殺されつつある女郎屋の四人組や開拓団で皆殺しにされてしまった四人の母親達の亡霊も含まれています。こんなストーリーを書き込んでいくやさしさと厳しさをしっかりと見つめ続ける井上ひさしはやっぱりすごい人だなと改めて思わされました。

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