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昭和のよき家庭

菅原:また、監督御自身の御両親の話しに戻しますが、このような活き活きとして、子供らしさもありつつ、クリエイティビティはすごくあって、それでいて、プロデューサとしての強さももっていて、でも強さは表にださずににっこりとしながら、皆をまとめられるという、そのような方の御両親はどんな方なのかを是非知りたいですね。お父さんって映画の中に出てくる鈴木さんみたいな人だったんですか?

山崎:いや、全然違いますね。ものすごくまじめなんですよ。まぁ、年に1回怒るぐらいなんですけど、怒ると鈴木どころじゃないですよ!それこそ、ドアが吹っ飛んでくるような怒り方で、その怒るときってのも正しい時なんですよ!理不尽なとこで怒られたら、おい!親父!!とか思うかもしれないけど、それは怒られても何も言い返せないってときに爆発するんですよね。

菅原:その監督に向けられた爆発した怒りで、どんな思い出がありますか?

山崎:うーん、具体的にはちょっと忘れてしまいましたよ・・・なにしろ、怒られたときの衝撃ってのが本当に大きいものですから、記憶も吹っ飛んでしまうんですよね(笑)。しかも、柔道やっていたので、投げ飛ばされるんですよね。

菅原:それも映画になるじゃないですか!(笑) お母さんはお父さんが爆発したときなんかに身を挺して守るみたいな温かくてやさしい、薬師丸ひろこみたいな方なんですか?

山崎:そうですね、わりと優しかったりもするんですけど、結構怒られますよ。ただ、3丁目の夕日の場合は家族皆が薬師丸さんの手のひらにのってたじゃないですか、それに比べると、うちは、どちかというと親父の手のひらに家族がのってるって感じでした。

菅原:食事の面ではお母さんはどのような物を作ってくれたんですか?

山崎:親父がお菓子の原料をやってたので、小麦粉とかバターが手に入るわけです。そのおかげでおやつがいつも手作りだったんですよ・・・。でも、子供にとってはなかなかしんどい状況でして、皆が駄菓子屋で色鮮やかでくじ付きの物を食べている時に、僕はお金なくて、親にくれ!というと、うちにあるじゃないか!といってマドレーヌとか出てくるわけですよ。今思うと幸せだったのかもしれないんだけど、子供にとっては大変不幸でしたね。

菅原:もちろん、お料理もお上手だったんですか?

山崎:料理もちゃんとしていましたね。

菅原:それは幸せじゃないですか。

山崎:今思うとですよ、今。でも、外食したかったな(笑)。たまに、100回に1回ぐらいのタイミングで外食だったりするのですけれども、うれしくてしょうがなかったですよ!

菅原:たしかに、私たちの時代は1年に1回ぐらいでしたね、外食は・・・。クリスマスの時に五目ラーメンを食べにいった思い出とかね・・・

山崎:そうそう、デパートに行った帰りにレストランに連れてってもらったり、今日は誰々の誕生日だから好きなもの食べていい!なんてことは本当に年に1、2回あるかないかの感じでしたね。

菅原:それじゃ、お母様の料理の中で思い出に残っているものってどんなものですか?

山崎:そうですね、なんでも美味しかったけど、特にコーンスープが美味しかったですね。ちゃんとホワイトソースを作ったりして、結構本格的なんですよ。

菅原:じゃ、ホワイトソースからちゃんと作るって事は、上手って事ですね。

山崎:僕も実はホワイトソース作れますよ!小麦粉を炒めて、牛乳を入れて・・・ってかんじですよね?まぁ、母か結構ダシとかも割りとちゃんと、とっていましたね。でも、途中から味の素に変わってましたけどね(笑)。ある日、電子レンジを買うって事になりまして、僕はてっきり、電子レンジは材料を入れると、自働的に料理ができるものだと思い込んでいて、実際それがただの温める機械って知った時には倒れそうになりましたね(笑)。

菅原:そうですね、私たちの時代は冷蔵庫や電気釜とかは、家族で感動してうるる状態でしたね。こういう画期的な新製品は何年かに1回ありましたよ。映画の中でもあったように、冷蔵庫の中に頭突っ込んで、幸せ〜!ってのがありましたけど、本当にあんな感じでしたね。でも、よくあれを思いつかれましたね。

山崎:あれはね、取材なんですよ。「冷蔵庫買った時になにが一番楽しかった?」と聞くと、みんな頭突っ込んだって口を揃えていうんですよ。だから、あういうシーンを入れたんですけど、そしたら、今度はみんな観た人が、「うちも頭突っ込んだって」って言ってて、とにかく全員が頭突っ込んだんですね、当事は(笑)!

菅原:そうですか。普通の冷蔵庫が出る前に木の冷蔵庫の時代もありましたよね。で、映画の中で、木の冷蔵庫から電気の冷蔵庫に変わる場面がとっても懐かしかったです。まぁ、当事は木の冷蔵庫を持っている人も少なかったですけどね。

山崎:木の冷蔵庫は相当高級なものだったらしいですね。毎日氷屋さんが来て、氷を入れ替えなくちゃいけないから、木の冷蔵庫を家に持っていたってのは相当なお金持ちだったみたいですね。

菅原:そうなんですよ。木の冷蔵庫でもすぐに氷が小さくなって、水がポタポタでるんですよね〜。

山崎:そうそう、だから、映画の中みたいに、木の冷蔵庫をあんな風に外には捨てない!っていわれましたね。僕はただ去り行く昭和の感じをだす為に無造作に捨てられた冷蔵庫を氷屋さんがみてがっくりしているシーンを入れたんですけどね、あんな風に捨てるわけないじゃないか!っていわれて、確かにそうだなと思いましたよ。

菅原:まぁ、当事の冷蔵庫の幸せ、魔法瓶、洗濯機、テレビの幸せと一つ一つの時代があの映画の中で息づいていましたね。テレビが来た時なんてのは誰もが忘れることができない思い出と言いますか、日本人のエポックですね。

山崎:僕は生まれたときからテレビがあったんですけど、やはりいろんな人に取材するとテレビはものすごい事だったらしくて、普通に家で映像が観れる!プロレスも観れちゃうってのは生活がものすごいジャンプしたと言う事で、とにかくちょっとオーバーなぐらい映画で表現したつもりだったんですけど、みんな、あの通りだと言うからびっくりですよ!

菅原:いや、あの通りでしたよ!最初の頃はどの家にもテレビがあるわけじゃなくて、お金持ちの家にしかテレビがなかったんですよ。だから、金曜とか週末にみんながその家に集まってきて、「すみませーん、みせてくださーい」って言って、「いらっしゃーい」って感じで本当に映画のなかのシーンそのものなんです。そのころは名犬ラッシ、ローンレンジャーとか、知らないでしょ?(笑)とかをみせていただきによその家に行ったりしたんですけどね。後は、近所の氷屋さんでカキ氷を頼んだ時はみせてくれて、何も頼まない時はみせてくれないとかもありましたね。

山崎:えー!氷屋さんはそんな事して生き延びていたんですね!

菅原:ですから、プロレスの人かは氷屋さんは満員ですよ。

山崎:試合が終わる前にカキ氷がなくなちゃったらどうなるんですか?

菅原:なくなると、睨まれて、もう1個頼む事になりますよ(笑)

山崎:ほっぺたが冷たくなっちゃいますね(笑)その話しいいですね。もうちょっと早く聞いていればよかったですね。

菅原:子供のころからテレビを観ている世代というのは、食育的な面からするとご飯を食べる部屋にテレビがあって、子供はご飯食べながらテレビを観るってケースが少なくないんですけど、その辺はどうでしたか?

山崎:やっぱり、最初の頃は親もご飯を食べるときはテレビを消せって言ってたんですよ。ところが、親が観たい番組があると、特例が設けられるわけですよ。そのうち、だんだんと大河ドラマとか観始めて、最後はグダグダになっていましたね(笑)

菅原:そうですか(笑)。私の家は、私がこういう仕事をしているもんですから、食卓のある部屋にはテレビがないんですよ。ですから、子供たちもみんな結構おしゃべりなんですよね。

山崎:すばらしいですね。確かに、テレビ観ますと会話は減っちゃいますもんね。そういうのがいけないんでしょうね。

菅原:後、食べているものが分からないって事にもなりますね。味が分からなかったり、集中してしまうと口があけっぱなしとか、そういう経験なかったですか?

山崎:ありましたねー。

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