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アカデミー賞12冠おめでとうございます!

今年のWSFは4/19(火)、4/20(水)の二日間にわたって行われました。初日の19日には大ヒットを飛ばした映画「ALWAYS 3丁目の夕日」の山崎貴監督をゲストに迎え、映画製作の話やテーマとなっている昭和30年代の日本人の生活や夢、希望、子育て、食事について私(菅原明子)と語り合いました。そのときの内容を今後連載していきます。

菅原:今日は来てくださって本当にありがとうございます。アカデミー12冠獲得おめでとうございます。

山崎:ありがとうございます。

菅原:私が今日のお誘いをした時は、まだアカデミー賞受賞前でしたね。山崎監督が獲るだろうなと思ってましたが、監督はどうですか?

山崎:僕は全然獲れると思ってなかったですね(笑)。映画賞ってわりとまじめな映画がとる事が多いので、Allwaysはギャグっぽいところがたくさんあって、エンターテイメントぽいところがありましたから、賞とはあまり関係ないかなと思っていましたね。

菅原:今日ここに来場していらっしゃる世代の人達がこの映画を観て、「そうそう、こういうのあった」とか、「なつかしいなぁ」と思えて、泣いたり、笑ったりして、めまぐるしく自分の子供時代を思いだせる映画ですよねぇ。

山崎:そうですね、昭和を知っている人達をターゲットにして「あったあった」と思わせる事がこの映画の肝だったので、そういう場面をたくさん入れるようにしました。

菅原:まず、お年を伺ってもいいですか?(笑)

山崎:あ、はい!(笑) 僕は昭和39年生まれの41歳です。

菅原:そうすると昭和33年とは無関係ですね(笑)

山崎:そうなんですよ。何様だ!って話ですよね(笑)。当時を知っていらっしゃる方からみれば、なーんでこいつが作ってんだよって思いますよね〜。

菅原:さきほどVTRで最初は乗る気じゃなかったって言っていましたが、どういうきっかけで作る事になったんですか?

山崎:プロデューサーが今55歳ぐらいの年齢で、ちょうど、映画の中に出てくる一平君と同じぐらいの代なんですけど、やはり、当時が一番楽しかったのでしょうか、もう一度当時に戻りたいという願望がすごく強くて、僕に、「山崎!昭和の映画はいいぞ!ヒットするぞ!」とやたら言ってくるわけですよ。でも、そんなのは嘘で、自分が当時に戻りたいだけだったというのがミエミエだったので、そんな話しにのるものかと思ってずっと逃げ回ってたんですよ。ところが、ある日に「3丁目の夕日」という漫画を持ってきて、この漫画はたった16ページで人の人生を描いてたりして、僕は前から結構好きで、この漫画をやってみたいと言われて、僕は「いいですね!」っていったんです。だけど、それは僕がやるってことじゃなくて、企画的にいいって意味で言っただけなんですけど、プロデューサー的には山崎がやると思い込んだらしく、結果的に回りがそう思い込んで、何がなんだかわからくなっていって、ずるずると引きずり込まれてやることになったんです(笑)。

菅原:それがこんなすばらしい結果を生んだわけですね。

山崎:人生ってのはわからないものですよ。

菅原:山崎監督にはレトロなのかもしれないけど、すごく当時の様子をリアルに表現して、CGを使いさらにリアルに銀座からあの辺の商店街まで、できつつある東京タワーと表現していましたが、そういう時代考証というのは、すごくエネルギーをかけられたのですか?

山崎:普段は物をデザインして作るところに90%ぐらいの労力を使うのですけど、今回は50%以上が資料集めでしたね。例えば、上野駅の中って全然資料がないんですよ。ぼんやりと人を写しているモノクロ写真とかはあるんですが、その後ろにチラッと柱が映っているものとかがありますが、モノクロですし、ピントも合っていないんですよ。そう言う写真を穴があくほどスタッフがみて「ここはこうなっているんじゃないか」と言ってやるんですけど、上野駅ってものすごい複雑な形をしているんですよ。一口では言えないねじれ曲がったような構造をしているんです。それで、上野駅のえらい方々になんとか図面を貸してもらたりして、上の方からも下の方からもつついて、頑張って図面をゲットできたんですけど、その図面がまた、わけわからないんですよ。上からの図面と横からの図面なんですけど、すごく複雑で、みんな頭を傾けちゃうぐらいでした。

菅原:あの映画の中の未来ヘンの所はまさにスターウォーズとかの世界でしょ?で、今のお話の昭和30年代とはあまりにも距離があって一人の中でそれを消化しきれたというのが奇跡ですよね。ところで、山崎監督の子供時代と言うのはどんな方だったのですか?何しろ、日本が生み出した、近年稀にみる、すごいCG作家であり、すごい作品を生み出す、構築力とか人情を持っている監督が子供時代どんな食事をして、どんな教育を受け、どんな御両親だとこんなすばらしい人になるのかと言う、そこらへんを聴かせてもらえますか?

山崎:そうですね、自分のことですからよくはわからないですけど、いろんなことに興味は持っていましたね。親がバザーみたいなところで、大人向けの科学雑誌を買ってきてくれた事があるんですよ。よくわからないんだけど、面白そうな事がたくさん書いてあるんですよね。ニュートンとかあういう雑誌のもっと昔バージョンのものだと思うんですけどね・・・

菅原:3丁目の夕日の中には子供たちが外で竹馬やったり、フラフープやったりとかしていましたね・・・

山崎:僕、竹馬はすごかったですよ。竹馬は3時間ぐらい乗っていましたね。竹馬の上で暮らしていると思うぐらい竹馬は得意でした(笑)

菅原:私も竹馬すごいですよ。男の兄弟がいたもんですから、最初は30cmぐらいで、最後は80cmぐらいまで乗れるようになりましたね。

山崎:それはちょっと負けたかもしれないですね(笑)。僕は50cmぐらいまでですね。ただ、片足で友達の家まで行ってましたよ!

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